けんぼうは留年生

ノンジャンルで何か書きたくなった時に書く感じ

映画ジョーカーと絶望の物語

f:id:kemboorg:20210402150938j:plain
 映画ジョーカーが放映されたのは一昨年。そのあと「あんなので絶望なんておかしいだろ」というツッコミ記事を見かけてこいつ何にも分かってねぇなぁ!と思ってこの記事を書きかけたのが去年の2月。最近突然ブログを書き出すようになって再びこの下書きを目にしたのでもう一度ちゃんとまとめてみました。ちなみにその何にも分かってねぇ元記事のことはもうよく覚えてませんし、私は私の絶望の話をしたいだけなのでリンクは付けません。


前置き

 皆さん絶望は好きですか? 私は少なくとも物語に描かれる絶望は大好きです。絶望に立ち向かい克服するのも良いし、絶望に打ちひしがれバッドエンドで終わるのも良い。とにかく人が絶望と向き合う瞬間が好きでそれは深ければ深いほど良いのです。
 「現実がすでにつらいのにどうして物語の中でまで」などと宣う人もいます。それはそれでもっともなんですがそれでも人間は、毒にしかならないアルコールを嗜み、わざわざ恐怖を得るためにジェットコースターに乗り込む、そういう酔狂な生き物なんです。もちろん嫌いな人もいるでしょうが、好きな人もいます。ここに。

人はいつ絶望するのか

 大なり小なり大抵の人は何某かの絶望を味わったことがあるものと思います。絶望とは文字通り「望みが絶たれること」なんですが、そこには前提として絶たれるための「望み」が必要なんです。
 例えば、自分が財布を失くすことを考えてみましょう。「絶望」とまではいかないかもしれないけど、それなりにつらい気持ちになりますよね。それなりの財を失うことになりますし、もっと重大なものも入っていて生活が破綻するリスクさえ発生するかもしれません。中々絶望的な気分です。
 次に、あなたは何らかの理由で一切の収入と財産を失ったと仮定しましょう。絶望的な状況です。この状況で財布を落としたらつらいでしょうか? まぁ踏んだり蹴ったり感はありますが、そんなことより前提の方が重すぎますよね。財布を落とそうが落とすまいがそもそも来月の食うあてが無い時点で厳しい。財布どころの話じゃない。
 当たり前ながら忘れがちな事実なんですが、絶望とは相対的なものであって、最初から底辺にいて望みが無い状態では絶望は発生しないんです。

ジョーカーが最初に見せる希望

 この映画の主人公は、作品開始時点ではつらいながらも何とか希望を持って生活しています。精神病を患っているけど、医療を受診することが出来ていて何とか対処しつつ生活しています。友人も恋人もいないけど母親には愛されていて共に暮らしています。決して裕福ではないけれど一応職もあり収入もあります。叶う望みは薄いけれど夢を抱き努力しています。
 本当に人生に絶望して生きている人からすれば、この作品の開始状態が恵まれたものに思えて憤慨してしまうことがあるかもしれません。でも先述の通り、適度に希望が無いと良い絶望にならんのですよ。

ちょうどいい希望

 この希望にもちょうどいい塩梅というものがあります。
 まず1つは観ている側の共感。観ている側は何かしらで主人公に共感し肩入れするようにならなければなりません。最初から彼が孤立無援のホームレスとかだったら、ただの可哀想な人となり他人事として受け流してしまうかもしれません。主題から逸れるので掘り下げませんが、共感のためには境遇だけでなく主人公のキャラクター性も重要ですね。
 「希望をへし折りたいならもっと恵まれた状況でも良かったのでは?」という考えもありますが、この作品には相応しくありません。ホラーと同じで、不安が大事なんです。希望はあるけれど、それがとても危うくてハラハラさせる。その危うい希望が折れた時、人は絶望と共にある種の安堵を感じて、絶望体験がより味わい深いものに仕上がるんです。「幸福の絶頂から急転直下の絶望」も良いんですが、あまり最初の絶望が強いと後の絶望が薄れてしまいます。この作品は時間をかけてじっくり不安と絶望を継続的に味わい続けることのできる作品なんです。

f:id:kemboorg:20210402151636j:plain

終わりなき絶望

 最初に書いた希望は作中で1つずつへし折られていき、その度に絶望します。彼女が出来たり憧れのテレビ出演が決まったりとポジティブなイベントもあります。もちろんへし折られより深く絶望するためのものです。
 極めつけは主人公の妄想症。終盤に差し掛かったところで、彼には妄想が現実の記憶と混濁してしまう症状があることが発覚します。物語は概ね彼の視点で描かれているので、観ている我々も彼と同時にこれまでのシーンの幾つかが妄想であることを知り、彼と同時に絶望します。そこからはもう町も彼も何もかもが崩壊していくカタルシスのある終盤のシーンに突っ込んでいきます。
 そして、全部観終わったあと、ふと気が付くんです。彼の妄想症のこと。あの終盤のカタルシスさえただの妄想で、真実の彼は強制入院させられただけのただの精神病患者に過ぎないのかもしれない……。
 上記は本当に勝手な解釈ですが、実際のところこの作品は意図的に妄想症の彼の視点で描かれ、意図的にあの映像の何もかもが信じられなくなるように作られています。そもそもバットマン出てきません*1。本当に彼がジョーカーなのだと確信出来るシーンは何もありません。この話自体がジョーカーという狂人の邪悪な妄想かもしれないし、あるいはバットマンという物語と無関係なただの狂人の話かもしれない。そこに答えはなく我々は観終わった後もなおモヤモヤし続けることが出来るんです。

絶望が好き

 別に自分が絶望したいわけではないです[要出典]。ホラー観る人が呪われたいわけではないのと同じです。ただ、絶望を見るのが好きで、それに対峙して折れたり乗り越えたりするのが好きなんです*2。その意味でこの映画は本当に素晴らしかった。もちろん絶望以外にも良い点はあるんですが、今日は絶望の話をしたかったのと、私は別に映画を評論できるほど映画を観ているわけではないので、絶望だけの話をしました。良い絶望作品があるならオチのグッド・バッド問わず教えてほしいです。

 じゃあそんな感じで。良き絶望を

*1:幼少期のブルース・ウェインは出てくるけど

*2:幸運で絶望を乗り越えられるのだけは嫌い。乗り越えるなら登場人物たちの力で乗り越えてほしい。