けんぼうは留年生

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世界は本当に "存在" してるのか ~胡蝶の夢や五分前仮説より怖いボルツマン脳~

 そもそも "存在" とは何かみたいな問もあるんですけど、そこはとりあえずすっ飛ばします。今僕らがいる「世界」というのは「本当に存在するの?」という話です。結論を先に書くと「世界そのものの実在性は信じても疑っても結論は出ないので、考えるだけ無意味」という話になります。
 以下はそんな無意味な議論についての話になるので読まなくていいです。

胡蝶の夢

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 中国の紀元前の思想家荘子が考えた仮説で、「さっき蝶として生活する夢を見て目覚めた。しかし、本当にそれは夢だったのだろうか? 今人間でいるこの私が蝶の夢でないと言えるか?」などという厄介な問を考えました。
 SF 版だと上記画像の様な「水槽の中の脳が見る夢」とか、「この世界全部がコンピューターシミュレーションだった」とかになるんですけど、似たようなことを2000年以上前に考えてる荘子って人と中国の文化は本当にすごいですね。
 それはそうとこの世界が夢やシミュレーションでない証拠を見つけることは不可能です。何故なら「これこそが証拠だ」と思っても、その認識自体が夢やシミュレーションであるかもしれません。この仮説は理論的に否定不可能です。もちろん否定できない=正しいではありませんが。
 荘子もただいたずらにこのような仮定を持ち出しているわけではなくて、「あなたの本質は物理的な肉体じゃなく、あなたそのものだからそれを大事にして生きなさい」という話をしてるわけです*1。なんか仏教の「無常」っぽい。

『世界五分前仮説』

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 こちらはイギリスの哲学者で無神論者のバートランド・ラッセルが20世紀前半に提唱した仮説で、「世界はつい5分前に誕生した。5分以上前の記憶や5分以上前から世界が続いてかのような痕跡がある状態で世界が生まれ動き出した。」と言うものです。
 こちらも先程同様論理的な否定は不可能です。どんなに5分以上前の世界の証拠を持ち出そうとも結局「5分前にそうなるように創られた」と言われたら反論のしようがありません。もちろんバートランドは本気で世界が5分前に誕生したと考えていたわけではなく、これは当時のキリスト教への反論でした。
 当時科学の発達から宇宙は百億年以上前からあったと言うことが分かりつつあって、この科学的な推論とキリスト教の創世論の矛盾から当時の神学者が導いた答えの1つに「神は宇宙が何億年も前から続いてるかのように作ったんだ!」と言い出したわけです。これに対して彼は「そんな理屈が成り立つなら世界が5分前に出来たと仮定することも出来てしまう。そんな仮説はナンセンスだ。」と言う反論をぶつけたわけです。要するに「否定出来ない=正しい」ではないことを示すために明らかに直感に反するが否定不可能な仮説を作ったわけです。

『ボルツマン脳』

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 "ボルツマン"と冠されていてもボルツマンが考えたわけではありません。20世紀頃から誰ともなしに提起され議論されてきた宇宙物理学上の仮説です。仮説自体は簡単で「この世界は、宇宙の虚空に偶然集まった物質によって偶然構成された脳の中に偶然生成された記憶かもしれない」というものです。言ってることは上記2つと何ら変わらない感じがしますね。むしろ、偶然物質が集まってそれが脳みその形になって都合よく複雑な記憶を持った状態になる……なんてことは上2つより更に非現実的な感じがします。でも、実際そうではないんです。
 まず、名前の元ネタのボルツマンさんから話を始めましょう。ボルツマンさんはエントロピー*2を再定義した人です。そして、ボルツマンさんが言うには「世界は平坦になっていく」ということです。砂場の砂山を想像してみてください。それはずっと山でいることはありません。ちょっとした風や揺れで少しずつ崩れていって少しずつ平坦に近づいていきます。逆に平らな砂が偶然集まってひとりでに山になるというのは、特別な力(例えば特定の方向から風が吹き付けるとか)でもない限りほぼあり得ません。これと似たようなことが宇宙にも言えます。私たちは物質の塊ですし、山も川も地球も太陽も全部物質の塊です。これは先程の例え話で言うところの砂山のようなものです。砂場は宇宙で、砂は物質です。宇宙にある全ての物質は固まったり壊れたりしながら想像できないくらいの時間をかけて宇宙全体に散らばっていって、いつか"平坦"――つまりどこまでいっても単体の分子や素粒子が同じ密度で薄く広く漂うだけの世界になります*3
 ここで、1つ疑問が発生します。そもそもどうしてこの宇宙は物質が集まっているんでしょう? 宇宙がビッグバンで生まれたのは構いませんが、そこで生まれた物質が勝手に集まったと考えるのは先程の砂山が勝手にできるくらい不自然な話です。この疑問に対してボルツマンさんはこう答えました。
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 そんな馬鹿なと思うかもしれませんが、いくら不自然で可能性が限りなく0に近くても0ではありません。可能性の高い「最初から平坦な宇宙」にはそもそも人間――というかその宇宙を観測するような知性体は生まれません。結果として知性体が生まれなければ見たり考えたりすることも無いわけで、そんな宇宙は存在しないのと同じです。だから、どんなに宇宙の生まれる可能性・空っぽの宇宙の生まれる可能性が高かったとしてもそれを考慮する意味は無いわけです。

 で、ボルツマン脳の話はここからです。この宇宙が今の形になったのは限りなく0に近い可能性です。太陽系が出来て地球が出来て生命が生まれ人類になるのも限りなく0に近い可能性ですが、どんなに低い可能性でも先述の理屈によって正当化されます。そもそもそんな疑問を持つ自意識を持つ存在が生まれなければ意味が無いわけです。でも考えてみてください。太陽作って地球作って生物作るより、たった1つの人間の脳みそを一瞬でも成り立たせる方が材料も少ないし簡単そうじゃありませんか? もちろん、今はこの理屈は通りません。太陽系は単に物質が寄り集まっただけでなく物理法則に従って秩序だって生成されたものですから。でも、先程話した「平坦な宇宙」の時代になると難しくなってきます。そんな大質量の物質が偶然集まる可能性はほぼ0です。一人分で世界の記憶を持った脳みそが完成する確率もほぼ0ですが、太陽系が出来るよりは桁違いに高い可能性になります。そして、「平坦な宇宙」の時代は無限に続く可能性があります。もし、宇宙が無限に続くとしたら太陽系が出来る確率よりボルツマン脳が生成される可能性が高い時代が延々と続くことになります。結果として太陽系があって人類が生まれて今の宇宙を観測しているより、平坦な宇宙の中でぽっかり浮かんだ1つの脳みそが世界を観測してると錯覚してる可能性の方が高いという話になってしまいます。

 あなたは確かに存在してますか? 本当のあなたは何も見えず何も聞こえず虚空に浮かぶただ1つの脳であり、そして次の瞬間には消え行く運命かもしれません。むしろそうであると考える方が自然なのです*4

*1:めっちゃ雑で浅い解釈なので掘り下げたい人は自分で調べてください

*2:キュゥべえが言ってたアレ

*3:キュゥべえが心配してたアレ

*4:面白くするために誇張しましたが、当然物理学者たちはそんな結論許していません。宇宙や素粒子に寿命があるとか、ランダムに生まれるものの限界とか、「世界を認識できる自意識」の定義とか色んな側面からこれを切り崩すための理論立てを行っています。